伏見人
人情と伏見愛にあふれた、職人にして時代の生き証人
中書島から徒歩数分、商店街沿いの古民家が時代衣裳おかむらの本拠地。ですが、このたび店舗を京橋エリアに移転するとのことで、今回はそちらにおかむらの顔・岡村和枝さんを訪ねました。
弾ける笑顔と次々飛び出すびっくり話にすっかり引き込まれ、おかむらのルーツから未来まで、じっくりたっぷりお話を伺いました。
「時代劇承ります」の看板が目立つ、時代衣裳おかむらの京橋店舗
背中にゴールドの「おかむら」の文字が光る、ふだんの仕事着
仕事場の一角
さまざまな時代衣裳を取り扱い、舞台や映画のお仕事から、結婚式やまち散策のための衣裳提供・着付け、また忍者ショーまで、幅広く対応させていただいています。
時代劇の衣裳など、時代物を扱わせていただくので、着付師ではなく着装師、結髪(けっぱつ)師ではなく結髪(ゆいがみ)師、メイクアップアーティストではなく顔師と言います。
一人でこの3つをすべてできるのはめずらしいそうです。
始まりは昭和の終わり。すでに「編み物・着付け教室 変身処 おかむら」を立ち上げていましたが、昭和天皇のご病気に伴い、映画も舞台もすべて自粛になり、まちも元気を失いました。そんなとき、伏見のまちの活性化のために、舞妓さんを乗せて人力車を走らそう、というアイディアが出され、「おかむら」がお手伝いさせていただきました。
そのうち、変身処があちこちにできたこともあり、私の原点である「映画」の世界に立ち返ろうと、「時代衣裳」に特化することにしました。
こちらの京橋の古民家は4年ほど倉庫にしていたのですが、今後中書島のほうはスタジオにして、こちらで本格的に活動を広げていきたいと思っています。

華やかで艶やか!花魁道中の御一行

おかむら(京橋)での撮影風景
私が長年ご縁をいただいてきた映画の世界は、その時代の文化、歴史、衣裳など、時代考証がとても大事です。理解していないと仕事ができない。
なぜ映画の世界に入ったのかは、話し出すと長い物語です。が、昔々子どもの頃、宝塚の衣裳をつくる仕事をしていた父方の叔母が、宝塚に連れて行ってくれたことが何度かありました。
きれいなおねえさんが美しく装っているのを見て、「きれいやなあ、素敵やなあ」と見惚れ、あこがれました。叔母が着付けの仕事をしている間、美しいおねえさんたちが一緒に遊んでくれたんです。
「ひとをきれいにしたい、美しくしたい」という気持ちがいつの間にか芽生え、大きくなっていきました。
18歳で東映に入社したのですが、ルーツは幼少時の宝塚にあるんでしょうね。
大切にしているのは、可能な限り「ホンモノ」に近づけるよう、こだわるということ。
そして、ひととひととのご縁。
舞妓は地毛結い。ドーランではなく水化粧。白粉、水化粧は当時の中村勘九郎さん、現・勘三郎さんに「教えてやるよ」と、手ずからご教授いただきました。
茂山三郎さんのお孫さんの双子さんが出演された作品でも衣裳を担当させていただきました。
その他にも、人間国宝さんが何人もこちらにお越しになっています。
すべてはご縁です。

いつもの仕事着で楽屋にて髪結い中

映画『長篠』主演の金児憲史さん・揚原京子さんと

人間国宝の能楽師・辰巳満次郎先生と
「中書島を盛り上げたい」という気持ちをずっと抱いています。
神戸・大阪・京都・伏見・奈良の5つのまちでまち興しをして「中書島」を盛り上げよう!という話がつい最近決まりました。
こちらもどうぞ、乞うご期待。

名古屋中村区大門100年祭の花魁道中

華やかな道中を支えるおかむらのおかあさんたち
「伏見」というのは「始まりの地」。
市電もそう、港もあり、大阪・京都・奈良に船で物流をスタートしたのはこの港からです。さまざまな歴史もここから始まります。
昭和23年、2歳のときに母が私を連れて伏見に来て、私は岡村の跡継ぎに、ということになりました。
つい先頃、9月19日が誕生日で、喜寿を迎えました。伏見に来て75年になります。
伏見の人間はプライドが高い。まちに対する想いが強い。
ところが人情も深い。大阪商人の気質と、京都らしいところとふたつ合わさっているのが「伏見気質」。これが何より大好きです。
伏見のまちは本当に人情深いです。
難儀していたら「引き上げたろか」と思う。みんなあったかい。
伏見のまちは昔くさいところが残っている。この場所もそうです、とても古い家でしょう。
ここにもさまざまなご縁がつながり、“呼ばれて”来ることになりました。
ラブラドール二匹を連れて、自宅から伏見港公園まで、毎朝さんぽに行きます。
両替町一丁目、岩船寺さんの横に柿木地蔵さんがあります。鬱蒼とした祠ですが、いつもさんぽの最後はそこにお参りをしてから、帰ります。
このお地蔵さんにはこんな逸話が残っています。
聖徳太子がお弟子さんを連れて太秦から伏見まで歩いてこられたとき、柿木がたくさん生い茂っていました。嵐が来て、柿木の下に逃げ込んだところ、落雷があり柿木が真っ二つに割れました。柿木のおかげで聖徳太子さんの御一行は命拾いをしたのです。
それに感謝して、太子が彫られたという木彫りのお地蔵さんが祀られています。
毎月町内の7組がいまだに当番で掃除をしてお地蔵さんを守っています。
私はご詠歌を歌いながらいつも掃除をして、毎日お参りしています。父と母に感謝しながら、手を合わせています。
この柿木地蔵さんの物語をいつか映画化したいと思っています。
地蔵仕舞い、墓仕舞いの話があちこちにありますが、ここの祠もボロボロだけれど何とか守っていきたいです。
そういうスポットや物語が伏見にはたくさんあります。
それが伏見のいいところで、伏見魂やと思います。

後を継げる若者を育てたいです。
「おばちゃん、100歳まで生きてや」と若い子たちに言われます。お祭りの法被をつくってくれるのはおばちゃんしかいない。あ・うんの呼吸でさっとつくってくれるひとは他にいない、と。
まず技術を伝えていきたい。忍者ショーをやっている子たちもいますし、殺陣を入れた日舞「殺陣舞踊」を披露して伝えていきたい、と言っている若い子もいます。
そういう子たちを応援して、「おかむら」の場所をどんどん使ってくれたらいいと思っています。
また、着付け、組紐、結髪も、後継者を育てるのはもちろん、伏見にこんな面白いおばちゃんがいた、ということも知ってくれたら、うれしいですね。

昔のお弟子さんが白無垢の花嫁さんとして帰ってきてくれました

お色直し後の二人。藤森神社にて

おかむらでは、きものリメイクも手掛けています

通天閣にて花魁道中勢ぞろい(上)・大手筋での交通安全パレードで事故体験もアピールしました!
昔は餃子とビールを供えてほしいと言っていましたが、ビールはやめました。
白いごはんと伏見の水。それさえあればよろしいです。
水道水と長健寺のお水を比べた番組がありましたが、伏見の水はやっぱりやわらかい。
昔はあちこちで水が湧いていました。囲いのなかの水に、野菜が冷やしてあった。
そういう水のある風景が私の伏見の原風景です。
【編集コメント】
「おかむらのおかあさん」「おばちゃん」と親しまれる和枝さんは、本当に表情豊かで、弾けんばかりの笑顔がとても魅力的です。そして、お話が面白い! 次から次へとびっくりするようなエピソードが数珠つなぎに出てきて、思わず引き込まれます。ここに書いたのは、ほんの氷山の一角(笑)。
話のなかで、「太夫さんのお引き合わせかなあ」とお互いにしみじみする場面もありました。
おかあさんは伏見愛がとてつもなく深い。昔ながらの人情、ということばがこれほど似合う方もおられません。
おかあさんの頭にはアイディアがたくさん詰まっています。ハートにはあふれんばかりの、この地への尽きせぬ愛。
これからおかあさんが、おかむらが、どこに向かっていくのか、楽しみで仕方ありません。
(取材 ナッツ)
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
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