まいぷれ伏見編集部スタッフの
なるさんです!
龍馬ファンなら伏見の旅籠、
寺田屋は是が非でも訪れたい所です。
先日、北海道から来られたご婦人も「もう大ファン。」「修学旅行で来た時はこの碑文が読めたのにね。」と、懐かしくも楽しい時間を過ごしておられました。
何といっても尊王攘夷の志士達を援護し、龍馬とお龍を支えた女将、
お登勢(とせ)の存在。
その墓は「月桂冠大倉記念館」目前の松林院にあるとのことです。
山口県萩の
有備館 (旧萩藩校 明倫館)は、剣術の龍馬ゆかりのスポット。
吉田松陰が教鞭をとり、桂小五郎や高杉晋作も学んだところで
ここには「他国修業者引請剣槍術場(ひきうけ けんそうじゅつ)」の看板が掲げてあって
龍馬が剣術の交流試合と同時に、元松下村塾の久坂玄瑞と面会した当時の気配を偲ばせます。
そして、神戸で海軍修行をスタート。
今でも「神戸の履き倒れ」と言って、
靴(ブーツ)にゆかりのある所です。
ちなみに京都は「着倒れ」 大阪「食い倒れ」 余談です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1835年11月15日 高知城近く本町1丁目(現在の上町1丁目)に誕生
1853年(19才) 江戸の北辰一刀流の千葉定吉道場へ入門
※6月 ペリー提督率いるアメリカ海軍艦隊が浦賀沖に来航(黒船来航)開国要求
1854年(20才)
※黒船再来。日米和親条約が締結。下田と箱館の二港が開港。
土佐に帰郷
1856年(22才)
二度目の江戸剣術修行
1858年(24才)
※日米修好通商条約が締結。横浜、長崎、新潟、神戸、函館の5港が開港
※安政の大獄で吉田松陰処刑
剣術修行を終えて土佐に帰国
1860年(26才)
※桜田門外の変(井伊暗殺)
1861年(27才) 武市瑞山(ずいざん)率いる
土佐勤王党(尊王攘夷派)に加盟
※1861年4月12日~1865年4月9日 アメリカ南北戦争
1862年(28才) 長州萩(山口県)へ。久坂玄瑞を訪問
3月
土佐を脱藩。藩籍を離脱して無許可で藩外へ。「浪人・罪人」となる。
7月 土佐藩参政、吉田東洋暗殺の容疑者となり、下関、大坂、京都を放浪潜伏
8月 江戸の小千葉道場に寄宿
12月 幕府政事総裁職にあった
前福井藩主・松平春嶽に拝謁
幕府軍艦奉行並(なみ)、
勝海舟の門下となる。
1863年(29才) 下田にて、勝の進言で土佐藩主山内容堂(ようどう)が龍馬の脱藩の罪を許す。
幕府が
神戸海軍操練所(そうれんじょ)の設立を認可
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伏見カメラマンの写真撮影
https://www.instagram.com/archive_photo_kyoto/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
寺田屋(京都市伏見区南浜町277)
>>
地図
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《アクセス》
・京阪電車 中書島駅から徒歩5分