まいぷれ伏見編集部スタッフの
なるさんです!
京都の豊国神社の国宝「唐門」は、豊臣秀吉が築いた伏見城の城門であったと伝えられています。
明治時代に現在の場所へ移築されたそうで、桃山文化を代表する荘厳華やかな装飾が今も残っていて
「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」が特に印象的ですね。
秀吉は戦で勝利するごとに、馬印(大将である証)に瓢箪を増やしていき、
千成瓢箪は出世の象徴、縁起物として親しまれています。
唐門には、鯉が滝を登る様子を表した彫刻があって
「登竜門」とも称されています。
秀吉が伏見城を築いた目的は、伏見は水運交通の要所であることに着目。
秀頼が居る大坂城、そして淀城。ロジスティクスを最重要と捉え、淀川の水路で物交流を容易にして、豊臣の継続発展を画策したと、私は思います。
明智光秀を破り、織田信長の葬儀を大徳寺で執り行い天下人となった秀吉は、正親町天皇より関白の位を授かります。以後は天皇の命として、荒れ放題だった京都の都市改造に着手します。
軍事・行政・経済・宗教・・
多岐において都市機能の推進を図り、京都で近世の
城下町の模範を実現するのです。
おそらく秀吉は、戦はライバル光秀や竹中半兵衛、黒田官兵衛、賤ヶ岳七本槍にすべてお任せ。
交渉は利休、家庭はねね、そして弟秀長や母妹のサポートもあって超万全。
「築城」、戦わずして勝つ「水攻め」「兵糧攻め」等、なんせ織田信長に認められてからは、土木事業や都市計画事業のエキスパートとして出世したのだなと、私は思います。
特に印象的な事項を列記しますと
・
かつての平安宮跡に聚楽第を政庁として建設して、後陽成天皇の行幸や諸大名を招いて権威を明確にした。
・御所を修築して皇室の威厳を高めた。
・京都全体を囲む
「御土居」と呼ばれる土塁(全長は約24km)を築いて、
要塞都市へと変貌させた。
御土居の内部を
洛中、外部を
洛外として区分した。
・御土居に
「京の七口」、出入口に関所を設けて人の出入りを管理した。
・「京中屋敷替え」。職業や身分ごとに居住地を整理して、行政の管理や税制を整備した。
・市街地の区画を「天正地割」で改め、従来の正方形から
南北に長い長方形に変更した。
(ほとんどこれ、石田三成の功績かと思います。)
空き地を把握するよう努め、太閤検地や課税を効率よく推進させた。
・寺を強制的に移転させた。
寺が商人と結びついて独自の経済社会を形成するのを回避するため、宗派ごとに御土居の近くに配置換えをしたのです。また自衛防衛機能を持たせることで、寺をまるで第二の御土居にしたようですね。
・鴨川沿いの
「寺町」は従来よりの天台宗・真言宗・禅宗などの寺を結集。
・聚楽第北方の
「寺之内」は法華宗。千家もここにあります。
・本願寺は南部に新たに創建。
京都の街並みは現在も、この配置で変わらないまま存続しています。
そして城下町、港町の伏見。
これらすべてが天下人秀吉の、まさにライフワークの結晶と言えます。
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伏見カメラマンの写真撮影
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豊国神社
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地図
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《アクセス》
・京阪本線 七条駅より徒歩15分