まいぷれ伏見編集部スタッフの
なるさんです!
実は現在、京都府文化博物館での京都歴史ガイド活動に携わっておりマス!
令和7年3月、14年ぶりに2階「京の歴史」エリアがリニューアルオープンしました。
代表エポックとしまして、以下ご紹介します。
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「京の歴史」展示物の写真撮影が可能に。(映画「羅城門(らじょうもん)」のポスターは撮影NG)
・江戸時代後期に描かれた「鴨川納涼図屏風」のアニメーション展示。今の「川床」を想像します。
・権力者の京都統治よりも、市民生活の様子に着目。
・京都の変容ぶりを地図で説明。
・入口(無料ゾーン)に空撮の京都写真展示。
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羅城門1/30模型とプロジェクションマッピングが登場。
残念ながら観光名所、伏見稲荷参拝のお土産「伏見人形」の展示は無くなってしまいました。
「旧日本銀行京都支店」 東京駅の設計者、辰野金吾の設計の別館内は必見です。
さて、
平安京の入口は羅城門。東寺の左側にあたります。
メインストリートは朱雀大路(すざくおおじ)。今の千本通ですね。
北は鷹峯(たかがみね)まで続いています。
平安京遷都より100年間(794年~894年)は唐との交流が続いていました。
当然移動は伏見経由になるわけで
唐からの使者や遣唐使はどのような経路で羅城門を目指し平安京に向かったのか、気になるところです。
ヒントは京阪電鉄本線の
「鳥羽街道」の駅名にあります!
急行が七条駅を過ぎると「トランプと花札の任天堂はここにあるのか。」と思ったくらいで
京阪電鉄の中でも乗降者数が少ない駅とのこと。
鳥羽街道は平安京造営にあたり、羅城門からまっすぐに南下する
「鳥羽作道(とばのつくりみち)」を起源としていて、羅城門跡石碑が立つ九条通沿い、花園児童公園から南下する旧千本通と想定されています。
そこから3キロメートルほどで鳥羽離宮跡に到着します。
つまり今の京都南インターチェンジ、城南宮界隈ですね。
かつて鴨川は竹田の東側を流れ、下鳥羽の南で桂川と合流。
宇治川は巨大な巨椋池(おぐらいけ)となって、まさに水運の要所。
外国使節は難波に入港し、そして鳥羽離宮跡を入京路としたのです。
鳥羽離宮(鳥羽殿)は白河天皇が創建した譲位後(院政・1086年)の御所で、鳥羽上皇の代に完成しました。
その後、権力を握った平清盛は1180年に後白河天皇を連れて福原(神戸・和田の泊)に遷都したのですが、半年後に京都に戻ると熱病(マラリア?)で倒れてしまいました。
船旅続きで蚊に刺されまくったのかもしれませんね。ここで
平安京は一旦、終焉となります。
多くの教科書では
1185年の壇ノ浦の戦いで平氏滅亡、守護と地頭の設置で鎌倉幕府の成立、
鎌倉時代の開始としています。1192(いいくに)年は源頼朝が征夷大将軍になって武家政権が確立した年と捉えられています。
さて鳥羽作道ですが、続きはこうなります。
・久我森ノ宮から羽束師、山崎へと南西に向かう道
「久我畷(こがなわて)」
・横大路付近の桂川左岸にあった
「草津湊(くさつみなと)」
・
千本通の終点は淀。物資の倉庫があり、税金を納める場所
「納所(のうそ)」
・陸路「山陽道」と木津川、宇治川、桂川の三川合流地点。
「淀津(よどのつ)」
伏見の交通路については、追って考察を続けて参ります。
東洋、日本の「ベネチア」と呼ばれているのは京都府の「伊根町」と「舞鶴市東吉原」地区。
「舟屋」と呼ばれる民家が湾に沿って建ち並んでいます。
偶然にも同じ京都府ということで、伏見はあたかも「水の都」と呼ばれても、過言ではなさそうですね。
このコラムでは「
京都の彩り」はもとより、京都の歴史をより深化させてお伝えします。
そして
「京都」を訪れたなら、「伏見にも足を延ばそう。」と思っていただける内容にしたいと思っています。
読者様からご指摘等ありましたら遠慮なくお知らせください。
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伏見カメラマンの写真撮影
https://www.instagram.com/archive_photo_kyoto/
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京都府文化博物館(京都市中京区高倉通り三条上る東片町623-1)
https://www.bunpaku.or.jp/
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地図
総合展示 10時~19時30分(入場は19時まで)
月曜休館
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《アクセス》
・地下鉄 烏丸御池駅から徒歩10分